2012年4月11日水曜日

軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ) - ドイツ軍



ドイツのヨアヒム・パイパーはマルメディで捕虜の射殺命令をだしたんですか?

命令は出されていません。
現場の兵士(通過中の)が勝手に捕虜に発砲し、パニックが生じて続いて捕虜警備の兵士が発砲したのです。

この経緯は大日本出版(MGの版元)がアフターザバトルの「バルジの戦い」日本語版に書いてあります。どうぞ参考にして下さい。

(くだらない質問はここに書け!:一等自営業)


突撃砲は歩兵の火力支援をするものでしたよね。弾はやはり榴弾砲なのでしょうか?

突撃砲の初期の目的はトーチカや敵陣を至近から撃つことによって歩兵を支援するのが目的でしたが、
途中から戦車を相手することが多くなっていきました。故に徹甲弾も装備しています

WWⅡのドイツ国防軍に「大ドイツ機械化歩兵連隊」とゆーのがありますが、これはどこかの師団に所属しているのでしょうか?

「大ドイツ機械化歩兵連隊」>>GD(mot)Rgtは1941年当時は10.PzDivとSS Reich Divの三個師団で
第46軍団所属でした。補給、兵站関係は軍団から行われます。時には第10装甲師団所属で作戦し、そのときは第10から指揮も
補給も受けることになります。1942年には機械化歩兵(のちに装甲擲弾)師団編制に昇格し、師団内に補給部隊が加わります。

独立重戦車大隊の所属は普通は軍の予備で所属しますが、前線投入時は担当する軍団の戦区ですので、補給は軍団司令部の責任になります。


なんでドイツ軍の水筒って底が丸いんだろう?あの形じゃ下に置けなくて不便だと思うが?

材料効率の問題とか? 丸ければたくさん入るし丈夫。
ピクニックじゃないんだから、置くこともないんでしょう。

かつての独逸軍の軍服のデザインがシャネルによるものだったって、ホント?

それは、俗説です。ココ・シャネルは1939年に店を閉じて1954年に再開するまでデザインはしていません。
文化出版局のシャネル公認の伝記・社史にもそのような事実はないと書かれています。
ただし、彼女はヘルマン・ゲーリングと親密な関係にあったのは事実です(なぜか伝記では省略されていますが)
ドイツが敗戦してからじつに9年もスイスで隠遁生活をしていました。したがって、ゲーリングの服はデザインしてる可能性はあります。
ですが前述のとうりなので「断じてシャネルはドイツ軍の制服はデザインしていません」
蛇足ですがロシア革命のときにアメリカ政府が革命政権を援助していたのでリーバイス製のルバシカは実在します、
日本のさるジーンズショップで秘蔵されています。(非公開だそうです)


第二次世界大戦中、独逸軍は凄まじい数のソ連兵捕虜を取りましたが、この捕虜は、ちゃんと全員収容所に入れられていたのですか?

捕虜自体は収容所に入れられたものも居ましたが、
寝返ってナチスドイツとともに戦ったものも居ました。
また、バルト諸国など併合諸国の捕虜の中にはSSに入ったものもおります。
(末路は両方とも悲惨でしたが)

それから、ただ無為に徒食させるわけではなく、自分の食い扶持は稼がせていますので、
すぐに国力が削がれるとか言うこともないでしょう。
(工場労働などに従事させた例もあります)

(13:眠い人 ◆ikaJHtf2)


ドイツ軍は東部戦線、西部戦線のどちらの方が多く、また強かったんですか?

なんと答えていいか・・・
年代により異なっております。大戦初期は職業軍人で構成されております一桁、
二桁師団の戦意は高いものがありました。43年ごろは武装SSの装備が拡充され東部戦線の一部では最強だと思います。
44年には東部、西部ともにボロボロの師団編成ですので人材も不足し、装備も情けない物になっております。
東部ではソビエト軍が電撃戦の学習効果を発揮し、西部では米軍の高性能の航空機による制空権でなす術がありませんでした。
43~44年で兵器の開発、生産もピークでしたし、熟練した兵士も不足しました。

(22:一等自営業 ◆kawD31MU)

第3帝国軍で制服組のトップって誰になりますか?

総統が一番Topにいる。
その下がNo.2で空軍のゲーリング国家元帥。
以下は陸軍とか空軍、そして海軍の元帥という感じ。

陸軍は陸上兵力を扱う(当然)。
海軍は海上兵力のみ扱う(艦船に搭載する航空機や哨戒機、それに搭載する武装は
空軍の管轄)
空軍は全ての航空兵力(本来は陸軍に属している方が効率の良い観測機、本来は海軍に
属している方が効率の良い水上偵察機、哨戒機も含む)に加え、降下兵から発展した空軍
歩兵を持ち、陸上兵力としてもなかなかのものがあった。
空母が作られていたら、空軍が運用したかも知れない。

武装SSは国防軍の対抗勢力として作られた党の軍隊。
本来はSAがその任に当たるはずだったが、勢力争いに敗れたため、SSが前面に出る。
最初は治安維持勢力だったが、徐々に勢力を拡大し、ヒトラー暗殺未遂事件以後、国防
軍を統制下におく位、優越する。

(27:眠い人 ◆ikaJHtf2)

ドイツ軍はナチス式の敬礼とアメリカ軍と同じような敬礼をしていますが、これはどのように区別していたのでしょうか?

通常の敬礼スタイルは国防軍の陸、海、空です。
ナチス式敬礼は武装SSやナチ党員(党員の国防軍)です。
1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件以降、国防軍の敬礼も
ナチ式に決められました。このスタイルはローマ時代のものです。
それ以前、国防軍の兵営の営舎内では無帽のときはナチ式敬礼です。
これは兵隊・下士官で。将校が無帽の場合は日本式のような頭をたれる会釈です。

(29:一等自営業 ◆O8gZHKO.)


装甲師団と機甲師団は別のものなんでしょうか?

どちらもドイツ語の"Panzer-Division"の訳として用いられていますが…。
どのように訳すかはマニアの中でも結構分かれてまして、
用は"Panzer"を文字どうり装甲と訳すか意訳して機甲(もしくは戦車)と訳すかの違いです。
古参のマニアは「装甲師団」最近のマニアは「機甲師団」を用いることが多い気がします。


ドイツ陸軍352歩兵師団とかいった存在が実在したのでしょうか?

第352歩兵師団は1943年11月、第268、第321歩兵師団等の残部を基幹に
第11軍管区で編成されています。ロシア人義勇兵なども含む雑多な編制でしたが、
東部戦線の経験者も多く精強な部隊だったそうです。

編成完了後はB軍集団の第84軍団指揮下に配属されノルマンディーの防衛にあたっており、
「オマハ」海岸で米軍を迎撃、その後の戦闘でも大損害を蒙っています。

後にRADなどの補充兵を加えた1944年9月に国民擲弾兵師団に改編、
バルジの戦いなどに参加した後、ニュルンベルク近郊で米軍に降伏。


アフリカ戦線が崩壊したとき誰もお咎め無しに終わったの?

ロンメルはノルマンディー防衛の任にあたることになったし・・

第三帝国内では
ナチへの忠誠心>>戦果みたいな。

伍長閣下と意見が対立したり、死守命令を無視して独断で撤退した将官がたくさん更迭されてる。
マンシュタインは見事な機動防御でソ連軍の攻勢を破砕したにもかかわらず命令無視や意見対立をとがめられ予備役に。

(494:640,モッティ ◆uSDglizB3o)

バルジの戦いのときに連合国に破壊工作したスコルツェニー中佐ってどうなりましたか?

戦後ニュールンベルク裁判でアルデンヌでのグライフ作戦の件で告訴されたけど、同業者のイギリス軍中佐の
「いや、同じこと連合軍でもやってたから」という証言があったりして無罪に。
その後の非ナチ化裁判の審理中にナンセン旅券でスペインに亡命。
その地で起業して実業家として成功し、恵まれた後半生を送りましたとさ。
その他にも右翼の大物として世界各国の反共運動やネオ・ファシズムに関与し、CIAやモサドとも繋がりがあったという話もある。


WWⅡにおいて、ドイツ軍はなぜ女性を軍人にしようとしなかったんですか?

アメリカやソ連は女性を軍務につかせていますよね。

赤軍は女性を兵士として前線に送り込んだが、米軍はWACやWAVEという経理や通信といった補助部隊として使い、
前線には送っていない。
ドイツはナチの方針で「女性は母として保護すべきもの」として軍務に使うことには消極的だった。
しかし米軍同様補助員として通信や戦闘機の管制などの任務についており、東部戦線などに派遣された女性補助員の
中には戦死したり行方不明になった者もいる。

ドイツ軍には女性兵士はいたのでしょうか?

兵士とは違いますが、女子補助隊員と言うことで後方には居ましたし、
収容所にも看守などで勤務していた場合もあります。
但し、戦闘は行なっていません。

(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ヒトラーは女性に対してはゲルマン民族繁栄のための母親としての役を期待していたので、女性の従軍や社会進出には消極的だった。
大戦末期には決戦に備えてフォルクスシュトルム(国民突撃隊)が編成されたが、これにも女性は含まれなかった。
終戦間際にベルリンなどで女性に対する兵器の取り扱い訓練が始まったが、ほとんど実行されず実戦にも参加していない。
ただし空軍の防空部隊のオペレーターや通信部隊には女子補助隊員がいて、通信部隊に配属された者の中には前線近くの軍司令部などに勤務していた者もいる。

何故マンシュタインが名将みたいに言われるんですか?

普通にソ連軍に負けちゃったりしてるとおもうんですけど…

フランス侵攻の立案者
電撃戦の立役者
ハリコフ攻防戦の成功

どう考えても名将中の名将です
ありがとうございました

スターリングラード戦の勝利で勢いづいた赤軍の大攻勢作戦「星作戦」を
機動防御で返り討ちにした「マンシュタインのバックハンドブロウ」は
いまだに世界各国で士官学校の教科書に載ってるくらいな見事な指揮

凡百な指揮官なら全軍壊滅しておかしくない状況で敵を破るなんてのは
それこそ名将の証。

なんでドイツは戦略機とか制空戦闘機をあんま作ってないんですか?

なんかやたら航続距離が短い迎撃機や対地支援の戦闘爆撃機が多くて空軍が陸軍航空隊っぽいんですが…

基本的にBF109もFW190も駆逐機が思想的に間違いだったと判る前の作。
駆逐機が失敗と判った後は戦争が激化しており、航続距離を優先した純然たる新型機
を開発する余裕が無かった。開発しても成功作にならなかった。
Bf109Zのように今一発想が駆逐機から脱却出来ない点も問題だった。

航続距離が足りない?ならば陸軍を前進させて飛行場を確保せよ。
要は大陸国だからです。近接航空支援と一定の航空阻止ならあれで十分。

1940年ごろのヨーロッパでは航続距離が1000km弱の戦闘機が普通でした。
洋上での作戦を想定していた日本海軍航空隊と米の戦闘機は航続力が長く、
日本陸軍航空隊も中国戦線での経験から航続力を重視していますが
これらはどちらかというと珍しい例ですね。

他国の大戦中期以降の機体であるイギリスのテンペストやソ連のLa-7、Yak-9、イタリアのMc202なんかも
航続距離は1000km内外なので、欧州機は基本的に航続距離が短いと考えたほうがいいかと。
ドイツは後半戦迎撃戦中心になったので、ますます航続距離がほっとかれた面もあります。

ハリケーンも1000km以下だしスピットファイアも1000km内外(たいてい1000km以下)だな

日本陸軍は97式、日本海軍は96式に不満を持ったから航続距離の長い後継機や双発戦闘機を開発しているが、
鍾馗のような機体の開発もしていたことを忘れてはならない。

アメリカは
 P-38・・・高高度戦闘機として作ったら機体が大柄になり航続距離が長くなった。
 P-51・・・厚い主翼が採用出来たので機内燃料が多く出来た。

ドイツ軍に海兵、つまり上陸戦や敵艦への乗り込みに用いられる部隊や師団はあったんでしょうか?

ドイツ帝国時代にSeebataillonというのがあった所までは調べられたのですが

海軍守備隊程度のものはあったかと記憶していますが(青島攻略戦時とかに、そう言った兵が
捕虜になっていたか、と)、上陸戦、敵艦乗り組みに用いられるようなものではありません。

例えば、19世紀末に債務不履行と言うことで、ドイツの軍艦が、ハイチに出兵したことがありますが、
この時は、軍艦に搭乗していた水兵のうち、当直任務以外の者が将校に率いられて上陸部隊を編成
していました。

また、エムデンなんかでも艦の乗組員の一部が陸戦部隊とか艦の捕獲などに使われています。
ちなみに、第一次大戦時にヴィルヘルムスハーフェンに入港していた戦艦群には兵科の水兵はいますが、
陸戦用の所謂海兵隊は乗り組んでいません。

(348:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦末期のドイツ空軍機の機体下部の色って、なんて名前ですか?

RLM76(ヴァイスブラウ)です。

(563:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

先の大戦中、ドイツ占領下のフランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクあたりでは、ドイツ軍の犯罪は問題になりましたか?

ドイツ軍は、特に西欧諸国では兵士の犯罪は厳正に取り締まっていた。
これらの国々がドイツの戦争遂行に必要な工業製品や食糧を生産する重要な策源地だったため。
連合軍に解放されたフランスのある町の町長が暴行や略奪の頻発にたまりかねて、「これではドイツ人どもに占領されてたほうがましだった」と連合軍の指揮官に怒鳴り込んだという話がある。

(だからといって彼らがドイツの占領統治を歓迎していたという話ではないので注意)

ベルリン攻防戦のドイツ軍はかなり悲惨な状態だったということですが、食糧は十分に供給されていたんですか?

また、食糧はどんなものを食べていたんですか?

少なくともベルリンのドイツ軍に末期的な飢えが発生したということはありませんでした。
計画通りにドイツ軍の補給が行われていれば、
だいたい軍用パン700グラム・ジャガイモ300グラム・野菜250グラム・肉類200グラム
後はコーヒー(たいてい代用コーヒー)とかタバコなどです。
携帯食料ですとパン700グラム・チーズ200グラムがメインで後はタバコなどが支給されます
末期的な飢えが発生したブダペストなんかだと一日パン1きれラード5グラム・馬肉一切れが支給されたそうです

ドイツ軍において、連合軍で使われていたフォネティック・コード(A=アルファ、B=ベータ……の奴)に相当するものは?

「ドイツ人はとても山登りが好きで、大戦中にも戦争そっちのけで連隊ごと未踏破の山に登って、なんでそんなことしたのかと言われたら『そこに山があったから』と答えてヒトラーに激怒された」これ事実でしょうか?

ドイツ第1山岳師団は独ソ戦のブラウ作戦時にカフカスにあるコーカサス山脈の
エルブルス(Эльбрус カタカナでどう表記するのかは資料によって微妙に
違う)山に登頂隊を出して、ソビエト軍山岳部隊と交戦しつつ見事山頂を征服した。

ブラウ作戦全体にはなんにも寄与しない上に戦略的意義は何もないこの登山作戦?
に作戦そっちのけで師団のリソースを割いた事をヒトラーに咎められた師団長は
「目の前に山があったら登る。それが山岳部隊というものです」
と回答し、ヒトラーを激怒させた。

結局「そんな無意味なことに許可を出したのは誰だ!」ということになって
A軍集団司令官であるリスト元帥のクビが飛んだ。


尚、山頂には第1山岳師団が立てたナチスドイツ旗が翻っていたが、ドイツ軍が
この地域から撤退したら、スターリンから
「他のことは総て後回しでもいいから山頂に登ってあの旗を降ろして来い!」
という命令が出て、ソビエトの山岳師団は総出で登って何よりも優先して山頂の
ナチス旗を撤去した。
勿論山頂にナチス旗が立ってたからといってナチスドイツが領土権を主張し続け
られるわけでもなく、戦略的には全く無意味だがスターリンはそれを最優先命令にした。

捕虜収容所で物資を蓄え、登山道具を自作してから脱走して
登山に成功して捕虜収容所に戻った
イタリア軍のことも覚えて欲しい

WWII頃のドイツ軍の機体に描かれている白で縁取りされた黒い十字架ってなんでしょうか?

バルカンクロイツ(バルケンクロイツ)と呼ぶ。日本語だと「黒十字」。
プロイセン王国以降のドイツの主権紋章(国籍表示)。

ちなみに現在のドイツ軍の国籍表示に使われている、先端がやや広がった形の
白縁付き黒十字のことは「タッツェンクロイツ」(爪十字)と呼ぶ。
これは中世ドイツ騎士団の紋章が由来。

「装甲てき弾兵」と言う部隊はどういう部隊なのでしょうか?

擲弾兵=歩兵
装甲擲弾兵は車両に載せられた移動力の高い歩兵。


ドイッチェラントの飛行機の形式番号「Ta」って、どこの会社で何の略で皆さんどうやって読んでるの?

タンク。
設計者のクルト・タンク氏に因んだ名前。
メーカーはフォッケウルフ。

ルーデルの伝説の一つに「12個新しく作った勲章を受け取ったのは彼だけ」ってのがありましたが勲章って数決まってるの?

あと賞は注文なの?それとも買い置きなの?

ルーデルがもらったダイヤモンド剣付黄金柏葉騎士十字章が特別に
円卓の騎士にちなみ12個限定と決められただけ。
勲章自体は作りおき。

ドイツ陸軍の、武装SSと国防軍が野戦指揮所なんかで挨拶する時って、ナチ敬礼か普通のかどっちだったの?

陸軍、武装SSそれぞれのやり方で敬礼。
1944年7月20日のヒトラー暗殺事件の直後、陸軍参謀総長(事務取扱)に就任したグデーリアンより、
ヒトラーへの忠誠を示すために従来の敬礼を廃止してナチ式に変えよという通達が出されている。
ただし戦場では必ずしも徹底されなかった。
また武装SSでも元陸軍将校だった古手の将官などはナチ式敬礼を嫌っていた。
(さすがにヒトラーやヒムラーに対して公然と陸軍式敬礼はしなかったが)

あと国防軍とは陸軍、海軍、空軍の総称で名前どおり国家の軍隊。
武装SSは党の軍隊で、国防軍を構成する三軍とは別の組織。
ただし実戦の命令系統においては陸軍将官の指揮下に武装SSの部隊が入ることもあったし、その逆もあった。
武装SSと国防軍の関係は非常に入り組んでいるので、簡単に説明するのは難しい。

ナチスドイツ海軍の水上艦艇は軒並み、機関不調だったのですか?

特にビスマルクの機関不調の有無が知りたいのですが

重巡「アドミラル・ヒッパー」級にはかなり冒険的な高温高圧缶を採用したため、ヒッパーは
缶からの蒸気漏れに悩まされています。
また装甲艦「ドイッチュランド」級では主機であるディーゼル機関のクランク軸振動が
激しかったと聞いています。

(313:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

缶室ベンチレーターの故障
過熱機に髪の毛ほどの亀裂が何本か走った
中央メイン連結器のボールベアリング破損
メインスチームラインの1本のスリーブやタービンに塩害

機関室内にはかなりの量の問題が発生していたと思われる

出典:巨大戦艦ビスマルク 
ブカルト・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク著
ハヤカワ文庫

リンデマン艦長の副官をやってた人

ドイツ軍が砂漠戦を経験するのは第2次大戦が初めてですよね?

アフリカに到着する前に北アフリカ、あるいは砂漠気候と言うものに対しての知識を持っていたのでしょうか?

一応、アラビアではありますが、第一次大戦に顧問としてOsman Turkey帝国軍に
赴任していたドイツ将校は多数おりますし、Persiaを縦断して、Afghanistanまで侵
攻した人もいます。
また、Namibiaは従来、ドイツ帝国の植民地であり、そこは砂漠地帯。
そこで戦った兵士達のノウハウもあります。

従って、或る程度は砂漠戦の知識はありますし、それをイタリアの知識で補完する
と言う感じではないか、と考えます。

(311:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WW2ドイツ軍、北アフリカ戦線には数個師団が送られましたが、突撃砲とか駆逐戦車は送られたんですか?

アフリカ戦線で突撃砲はほとんど活躍していません。
その数少ない突撃砲部隊に独立中隊「アフリカ」があります。
アフリカ戦線に投入予定として編成中だった第242突撃砲大隊は、急遽東部戦線に
投入されることになりましたが、第一中隊のみは分離されてアフリカに送られました。
しかし、その戦力は突撃砲6輌に過ぎず、しかもその一部は海没してしまいました。

チュニジアに送られた中隊は第90突撃砲中隊として第90砲兵連隊の指揮下に置かれ、
さらにラムケ旅団に送られています。
中隊は最後まで果敢に戦いましたが、武運拙く43年5月に他の部隊共々降伏しました。

この他にアフリカに送られた部隊には、第288突撃砲中隊があります。
この部隊は第288特別部隊の第5戦車駆逐中隊に一個小隊3輌が配属されたと言われますが
実際は海没したとも言われ、活躍したかどうかは疑問が残ります。

(311:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

ナチの機甲師団において、開発されたばかりのパンサーやタイガーなどは国防軍よりSSに優先的に配備されたのですか?

パンターで編成された戦車大隊に関して、国防軍よりSSの方が編成が恵まれたのは事実。
SSの第1~第3装甲師団にパンター大隊が編成されたのは1943年9月ですが、
国防軍のほとんどのパンター大隊の編成が完了したのは1944年に入ってから。
他のSS装甲師団(第5・9・10・12)も1944年早々にはパンターが配備されており、
優先して装備されたといっても良いでしょう。
しかも、SSのパンター大隊は各師団に固定して配備されたのに対し、国防軍のパンター大隊は
師団から切り離されて独立運用される場合もしばしばでした。

ティーガーの運用に関しても、1942年中に編成された国防軍の第501~503の
三個独立重戦車大隊に次いで1942年11月には3個重戦車中隊(SS第1~第3装甲師団に配属)
が編成されており、優先装備といってもいい状態だと思えます。

(310:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

グデーリアンの『電撃戦』の付録地図に記載されている部隊名について

ドイツ軍やソ連軍の軍隊の表記法について
差し当たり、以下が意味するものについてご教示ください。
H.Kdo(独軍)
I.R.(独軍)
V.A.(独軍)
Tle.(独軍)
Div+Pz.Verb.(ソ)

分かる範囲ではこんなところ
H.Kdo. =Hoherer Kommando (軍団や軍など上級司令部)
I.R.=Infantrieregiment(歩兵連隊)
V.A.(?)
Tle.=Teil(壊滅したり上級部隊から切り離された部隊の残余)
Pz.Verb.=Panzerverband(ドイツ軍の定義では臨時編成の装甲部隊)

いちおうその本自体に「地図記号、略号一覧」というのが付属していたはず。
H.Kdo = HoeresKommando=兵団(独立軍団)司令部
I.R = 歩兵連隊
V.A = 先遣隊、前衛部隊
Tle = 分遣隊、支隊
Verb = Verband = 編合部隊

WW2時のドイツの艦名の命名基準と、ドイツ空軍機の命名基準を教えて下さい

目安的には…。

戦艦は、政治家の名前、巡洋戦艦、重巡洋艦は概ね軍人の名前、軽巡洋艦は都市名、駆逐艦は後に
番号が付与されていますが、初期の頃は、国家社会主義労働者党に功績のあった人々の名前、水雷艇
は猛禽類の名前か番号、護衛艦、潜水艦、魚雷艇以下の小艦艇は番号。


飛行機については、1933年より、ドイツ航空省承認の下で設計・製作された機体については、RLMから形
式番号が割り当てられ、これに製作会社略号を付けています。

初期の頃は、計画的に割り当てられ、例えば、11~30はDornierに、31~36はKlemm、37~60はHeinkel
64~85はAradoなどとなっていますので、初飛行順にならないケースがあります。
また、原型のみで開発中止になった機体の場合、同一番号を割り当てる場合があります(例.Me-163)。
一端与えられた番号でも、既に空位になっている番号にふり直すこともありました。
AとかBと言った部分は、大改造型で、ハイフン以下は小改造型に割り振られます。
また、工場改造と現地改造でそれぞれ、UとかRが末尾に付く場合もあります。

(304:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ軍航空機名の数字は開発順ってことですが、それなら数字が一桁、二桁の機もあるはずなのでは?

Bf110→Me210→Me310(開発中止)→Me-410のように改良されると最初の桁の数字が上がっていく場合もある。
あと開発中止になった機体の番号があとで復活する場合もある。

ヒトラーは重戦車マウスや巨大列車砲ドーラ、戦艦ビスマルク等の巨大兵器が好きだったようですが、巨大飛行機を作らなかったのは何故なんでしょうか?

急降下爆撃オタが空軍爆撃機の開発を仕切っていたから。
巨大爆撃機に急降下爆撃能力をつけようとして、設計が無茶苦茶になり
あまり巨大機が開発できなかった。

ヒトラーがそれを知ったときさすがに撤回されたはずだけど。
もう戦局が手遅れだったけど。

ドイツ軍内ソ連軍の、ウラソフ将軍はモスクワ攻防戦時、モスクワに再接近したドイツ軍を撃退した程の手腕を持ちながら、ドイツ軍内部でこれといった戦果を挙げれなかったのは何故なんでしょうか?

あと、ウラソフとその一族は、ソ連に引き渡された後、かなり残酷な殺され方をしたといわれますが、どんな死刑方法だったんでしょうか・・・。

ドイツ軍内部にはウラソフを反ソ宣伝や戦闘に積極的に活用しようという動きもあったが、ヒトラーやヒムラーがそれを承認しなかった。
彼らにとってはスラブ人は絶滅もしくは隷属させるべき劣等人種に過ぎず、下手に戦わせて発言力を持たせるなどもってのほかということ。
よってウラソフとその部下たちはほとんど飼い殺し状態で、ごく短期間SSの管理下に入ったり陸軍の下に入ったりと扱いも定まらない状態だった。
戦争末期になってからようやくウラソフのロシア人部隊は心理戦や実戦に投入されたが、もはやどうにもならなかった。
なおドイツ軍内部でソ連兵捕虜を戦力化しようと動いていた人々の中にはトレスコウやシュタウフェンベルクなど、ヒトラー暗殺計画に関与した軍人たちがいた。
この他にもドイツ軍では協力を申し出たソ連軍捕虜や反共主義者を戦闘や警備などに用いていたが、ほとんどが大隊以下の規模でまとまった兵力としては編成されていない。

ウラソフを含むドイツに協力した元ソ連軍将校たちは、ソ連送還後裁判にかけられ絞首刑となった。
下級将校や兵士たちも同様に裁判にかけられ処刑もしくは矯正収容所送りとなったが、送還途中に個人もしくは部隊単位で自殺したもの多い。

詳しくはユルゲン・トールヴァルトの「幻影 ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語」(フジ出版社絶版)を読まれたし。

ベルリンの戦いではドイツの青年新兵が戦闘を放棄し、最後のセックスに勤しんだという話があったのですが本当なんでしょうか?

アントニー・ビーヴァーの『ベルリン陥落 1945』に似たような話が出てくるのでそれが元ネタと思われる。
赤軍が迫ると市民の中に行きずりの情事を行う者が増えたとか、空軍補助員の娘達がロシア兵に奪われるくらいならと
ドイツ人の若い兵士に処女を捧げたという内容。

アドルフ・ガーラントってアニメや創作もびっくりの大出世をしていますが

戦功昇進がかなり大盤振る舞いされている当時のドイツ空軍でも群を抜いて出世が早かった理由はなんででしょう?

ドイツ空軍は公式には1935年から始まるけど、これ以前に秘密訓練を受けた1期生の正規パイロットで
スペイン内戦ではすでに中隊長で、ダイヤモンド付きスペイン十字章を受けてる。
成績も抜群で、度重なる負傷、事故、撃墜にも挫けず飛び続けた。

新生ドイツ空軍にあって、脂の乗り切った時期に実戦経験を重ねた1期生だから、
彼以上に戦闘機指揮官にふさわしい人物はなかなかいなかったろう。
もちろん、メルダースとかにも当てはまるけどな。

つまり他の国に比べて昇進が早いのは、ドイツ空軍が1935年に再生したことで、
WW1の空軍とは断絶があり、古い人が居なかったってことが一番の原因ではないかな。

アメリカ軍では第1師団の'第1'を'1st'と表記しますが、ドイツ軍ではどのように表記するのでしょうか?

数字のみの表記。
たとえば第1SS装甲師団「LSSAH」だと、
"1. SS-Panzer-Division Leibstandarte-SS Adolf Hitler"という風に表記する。
同様に第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」だと、
"12. SS-Panzer-Division Hitlerjugend"になる。

アメリカ軍には日系人部隊がいたけど、ドイツにはこういった敵国の人を集めた義勇軍は存在しなかったの?

ドイツ軍にはソ連に国を奪われた人達の部隊があります。

ヴァフェンSSの後期に編制された師団は義勇兵ばかりでっせー。

ナチスに賛同したウクライナ人中心の師団が東部戦線でソ連相手に戦ったりしてる

デーニッツの本に、海軍ではユダヤ人迫害はなかった。士官学校の校長はユダヤ人だったと書かれていたんですが

実際どうなんでしょうか?ユダヤ人の軍人っていたんですか?

ナチスの政権掌握後、ニュールンベルク法などによりユダヤ人は軍から排除される建前になっていた。
しかしながらかなりの数のユダヤ人、半ユダヤ人が様々な理由
(重要人物であるとかナチ有力者とコネがあったなど)で特別扱いされ、引き続き軍への勤務を許されている。
洋書だがそのものズバリのタイトルの「Hitler's Jewish Soldiers」という本も出ている。

だからといって海軍(or陸軍)においてユダヤ人差別がなかったというわけでは決してない。
デーニッツも含めて戦後にドイツ軍人が書いた回想録には多かれ少なかれこの手の自己弁護は付き物、
ということは理解しておいたほうがいいだろう。

ナチスドイツ空軍ナンバー2のエアハルト・ミルヒ元帥閣下は
当時のドイツの基準に照らし合わせれば、立派なユダヤ人になる。
で、「カーチャンが他の男と浮気して出来た子供」という事にされてしまった

ドイツ陸軍で英語のSergeantって訳はどうなんの?

wikiを見ると
Hauptfeldwebel、Oberfeldwebel、Feldwebel、Unterfeldwebel、Unteroffizier
下士官が5つもあるんですね……正式な日本語訳をご教示ください

文献により翻訳に違いはあるが、
Stabsfeldwebel, Stabswachtmeister(司令部付曹長)
Hauptfeldwebel, Hauptwachtmeister(特務曹長)
Oberfeldwebel, Oberwachtmeister(上級曹長)
Feldwebel, Wachtmeister.(曹長)
Unterfeldwebel(軍曹)
Unteroffizier, Oberjager(伍長)



例えば、大日本帝国陸軍では下士官の階級は基本的に曹長、軍曹、伍長の
3種類であった。一方、ドイツ陸軍にはシュタップスフェルトヴェーベル
(Stabsfeldwebel)、オーバーフェルトヴェーベル(Oberfeldwebel)、
フェルトヴェーベル(Feldwebel)、ウンターフェルトヴェーベル
(Unterfeldwebel)、ウンターオフィツィーア(Unteroffizier)の5種類が
存在していた。これらをどのように対応させるかにより、
Unteroffizier が軍曹と訳されたり、伍長と訳されたりする場合がある。
さらにドイツ陸軍の階級をアメリカ陸軍の階級に当てはめて、
それを日本語訳する場合もある。この場合は一等軍曹、二等軍曹、
三等軍曹などといった表現になる。訳者によって
それぞれ思い入れもあるであろうからどの訳が正しいとか、
どれが間違っているということはない。
ただ、資料によって訳が異なるというのは事実である。

ドイツ海軍のu276や空軍のJG 5のエンブレムは旭日旗っぽいデザインですが、日本と関係はあるでしょうか?

U276の活動地域が北大西洋海域であることから、日本との接点はありません。
従って、旭日旗とは何の関係もありません。


ちなみに、欧州の国旗にはこんなものもあります。

これは、旭日旗から取った意匠ではなく、此の地に代々伝わる古代Makedonia帝国の
ベルギナの星を図案化したものです。

JG5についても、主な活動領域が北欧であることから、昇る朝日を図案化したものでは
ないか、と推定します。

(285:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ナチスドイツがなんで空軍を独立させたのかよくわからない

陸軍航空隊のままの方が良かったんじゃ?

ヒトラーは極力一つの軍が大きくなることを恐れ、完結性の無い
存在にしようとした(軍の独立完結性が高くなると、自分に逆らう
かもしれないから)ので、ドイツの空軍組織が陸軍や海軍に統合
されることはありえない。
空軍に陸戦部隊(ヘルマンゲーリング師団)を持たせたのも、
陸軍はおろか武装親衛隊すらヒトラーが信用していなかったためだし。

日本軍を見れば解るが、空軍が陸軍から独立していないと、航空戦力は
陸軍の直接支援専用にもっぱら用いられる。敵国の中枢を直接叩く長距離
戦略爆撃のような「空軍力」としての運用が望めず、戦略兵力にならない。

でも独立してたドイツ空軍は戦略爆撃をあまり熱心じゃなかったし、
陸軍航空隊に過ぎないアメリカが最大の戦略空軍を持っていたわけで、ちょっと説得力に欠けるのでは?

ドイツ空軍は本来戦略爆撃専業の軍隊だった。
有名なシュトゥーカだって本来は交通の要所や鉄道などの戦略目標を
急降下爆撃でピンポイント攻撃するための機体。
双発で航続距離や搭載量の少ない爆撃機しかなかったのも、搭載量や航続距離
よりも速度を重視した結果。
「電撃戦」という「戦略」に特化した空軍なので、結果的には地上支援専門の
戦術空軍に見えるだけ。
ヒトラーの頭の中ではそういう意味での「戦略爆撃」はロケット爆弾(後のV-1や
V-2)にやらせるつもりだったようだ。
Me262を見て「爆撃機にしろ!」と言ったのも、その流れ-爆撃機に必要なのは
迅速な第1撃である-から。

アメリカの戦略空軍は、「えー、うちらは陸軍の航空隊ですからあくまで陸軍と
しての任務が先でそんな都市攻撃なんかは後回しで・・・」ってごねる陸軍から
爆撃機を取り上げて総司令部直轄で運用するために出来たようなもの。
そういう意味ではアメリカの戦略空軍は「陸軍から航空隊は独立させる必要がある」
の代表例みたいなもの。

二次大戦中のドイツ歩兵の腕時計ってどんなのかわかる人いませんか?

ドイツ陸軍では時計の支給は小隊長以上に限定されていて、したがって
歩兵が持っているとしたら個人購入の物ということになります。

軍から支給された時計は懐中時計と腕時計と二種類ありますが、特徴は文字盤が
必ず黒であること。
時計のブランドとしては「ARSA」「ZENITH」といったあたりが写真で確認できました。

(278:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

アイザック・アシモフの雑学本の中で、1942年に潜水艇でニューヨークに上陸しようとしたドイツ特殊部隊というのが出てくるのですが

これは本当なのですか?

実話です。
1944年にも工作員はアメリカに上陸してますよ。
西部タイム刊/アメリカの世紀(6)1940-1950パールハーバーの衝撃の198~199ページ
ISBN4-8275-1228-0
3900円
たぶん絶版だけど大きめの図書館にあるよ。

ケルゲレン諸島という南氷洋の小島に、ドイツが通商破壊用の基地を第1次・第2次大戦のとき設置しようとしたのは、本当ですか。

ケルゲレン諸島については、第一次大戦では注目されていません。
そのころはまだ探検が済んでいなかったみたいですね。
第一次大戦後に地勢がはっきりし、第二次大戦に於いて、通商破壊船の補給地と
して利用したのは確かな様です。

但し、早々に英国に察知され、豪州海軍の巡洋艦が派遣された為、補給地として
の機能は放棄されたみたいです。

(105:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ捕虜でソ連抑留時に思想転向をし、国家人民軍やシュタージで高官に就いた人物がいれば教えてください。

一番有名なのはスターリングラードで捕虜になったパウルス元帥。
戦後は東ドイツ軍の再建に関わり、「赤いプロシア軍の父」と
呼ばれた。

あとはスターリングラードで捕虜となり、戦後NVAの将官になったヴィルヘルム・アダム大佐とかアルノ・フォン・レンスキー少将とか。
その他戦後NVAに入った元国防軍軍人たちは以下を参照
ttp://www.axishistory.com/index.php?id=5706
階級はNVAでの最終、カッコ内は国防軍時代のもの。

OKWとOKHはどういう関係と違いがあるのでしょうか?

OKWは「国防軍最高統帥部」。
OKHは「陸軍総司令部」。

OKWは オベル コマンド ダス ヴェーアマハト の略で、
OKHは オベル コマンド ダス ヒーレス     の略。

両者の関係について。

ナチス時代のドイツでは、陸海空三軍は国防軍と総称され、
その総司令官は総統ヒトラーが兼任していました。
OKWはヒトラーの参謀として作戦の指導その他の業務を遂行することになっていました。
一方、OKHは陸軍総司令部で、陸軍総司令官とその参謀によって編成され、
陸軍の作戦指導およびその他の業務を遂行することになっていました。

しかし、実際にはOKWはヒトラーの命令伝達組織以上のものではなく、
実際の作戦はヒトラーの命令に基づき、陸海空三軍がそれぞれ独自に遂行していました。
しかも独ソ戦以降は陸軍総司令部がヒトラー直属となったため、東部戦線は管轄外となり、
実質的に地中海戦線と西部戦線の陸海空軍を統括する事務組織となりました。
また東部戦線の作戦指導を行うだけの組織となったOKHも、
1942年以降、ヒトラーが陸軍総司令官も兼任するようになると有名無実化し、
最終的には「東部戦線の陸上部隊を管轄する事務組織」に過ぎないものでした。



国民突撃隊は戦力としてどれほど役に立ったのでしょうか?

国民突撃隊(フォルクスシュトルム)は通常は召集されない高齢(40代以上)の予備・後備役兵。
もはや兵役に耐えない判断され予備役に編入された傷病兵。
ヒトラーユーゲントの十代の団員などからなっていた。
兵器は旧式もしくは占領地からの鹵獲品がほとんどで、補給の混乱から数が足りなかったり
銃に適合しない弾薬が届くなどということもしばしばあった。
上記のような状況では家族持ちがほとんどの老兵たちの士気は非常に低く、戦闘を放棄して自宅に逃げ帰るような事態も頻発した。
ただしユーゲントの少年兵たちは狂信的であり、死ぬまで戦った者も多かった。
(有名なヒトラー最後の映像で勲章を授与されているのは、パンツァーファウストで戦車を撃破した十代の少年たち)
ドイツで製作された「橋」という映画で、こうした少年兵達の勇敢だが無益な戦いが描かれている。



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